表現者
価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない。
その表現の仕方が研究だろうと、スピーチだろうと、絵画だろうと、価値の判断基準は常に自分の内部にあり、その基準に基づいて自分の考えや思いを外に問うのが表現だ。
価値の判断基準が外にある人間は、自分の内部にあるものが外に問うだけのクオリティに達しているかを常に悩んでしまい表現を外に出せない。
外に出せない限り、いかなる人間も表現者とはなりえないんだ。
表現者は、外の世界に自分の考えや思いを問うのがその存在意義だ。
外に問うということは反論を食らうということなので、皮膚は破れ、肉は断たれる。でも、骨は守る。
傷を癒し、身のこなしを鍛え、骨を強化し、場合によっては骨を入れ替え、再び世の中に自分の考えや思いを問う。
考えや思いを外に問わなければ何も始まらないから、ただ、そうする。
だから、君がもし表現者になりたいのだとしたら、精神的な背骨を手に入れる必要がある。
それはどんなものでも良い。
私が君をどう思うかではなく、君が君をどう思うかそれが重要だ。
君は私じゃないし、私は君じゃない。
究極的には、私が君をどう思おうが君はそれに左右される筋合いはない。
全面的に同意。すばらしい大学教授だと思った。
おれの弟は今、絵画という芸術の道を行こうと心に決めてがんばっている。
兄である僕から見て、その覚悟は本物な気がしている。
そして、彼が僕に語ってくれた悩みというのは、まさにこの文に書かれていることだった。
彼は今、自分の背骨を作っている。
そして、東京芸大に挑戦することを通して、現時点の自分が通用するかどうかを見ている気がする。
もうすぐ彼の受験日だ。(,,゚Д゚) ガンバレ!
さて、僕は何を通して表現していこうかな。
仕事と音楽かなー。