稀代の発明家Ray Kurzweil氏による基調講演 とてつもない未来を語る、「The Next 20 Years of Gaming」

http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20080223/ray.htm


おもしろい!とてもおもしろい!
現実的な壁をあえて無視し、マクロ的な視点で世界を考えるということはとても興味深い。
で、この記事は、僕の印象で全て書く。

Kurzweil氏は過去を振り返るところから話を起こしていく。古くは農耕、車輪、工作機械といった発明から、現代のコンピューターサイエンス、情報工学、それに付随する産業の発展まで、「時代の進歩は10の累乗“Power of 10”ペースで進んできた。そしてこれからも続いていく」と話す。これが「収穫加速の法則」だ。

なんておもしろい法則だ!

 ミクロに注目すれば、発明的努力の99%は失敗している。だから、人々は悲観的になる。しかし、マクロの視点ではいつか必ず成功例が現われる。つまり、過去のデータは、短い期間では停滞することもありながら、マクロ的にはとどまることなく進歩してきたことを表していた。また、その進歩は人類のあらゆる側面に影響を与えてきたという。

 Kurzweil氏は、「ゆえに、未来は予測可能である」と、話を続けた。もちろん、テロや戦争、社会不安などの要因で、ミクロ的には停滞したり後退することもある。しかし人類史を長い目で見てみると、何らかの壁にぶちあたるたびに決定的な技術の発見などによる「パラダイムシフト」を起こしては限界を克服し、とめどなくに発展のスピードを高めてきたのだ。

うーん、過去のデータから共通項を括りだして、一般化するのは極めて科学的なアプローチだけど、その共通項が未来永劫に渡って普遍かどうかは保証されていない。


未来を予測するという大事に関しては、ちょっと科学的アプローチを信頼しすぎな気もする。

この話、突き詰めると「科学は全て仮説」とかいう話になるんだけどね。

まあ、それ別の話なので、またあとで。


 Kurzweil氏は、ゲーム開発者は、その発展スピードに備え、未来を先取りした仕事をするべきだという。大規模ゲームプロジェクトは3年から4年の期間を必要とするが、その間に世界が大きく様変わりしてしまうからだ。進化は加速度的である。10年前の4年と、現在の4年では、全く進化のスピードが異なっているのだ。8年前に、検索エンジンが情報生活の必需品であっただろうか? 4年前に、インターネット上に大規模なソーシャルネットワークが存在していただろうか? 今から4年後の世界はどうなっているだろうか? さらに大きな変化が待っているはずだ。


未来を先取りして仕事をする。それは間違いない!!


【2010年:コンピューターは消える】
 網膜へ映像を直接投影
 ユビキタスのブロードバンド、常時接続化
 電子機器は服や眼鏡に埋め込まれるほど小型化する
 完全な臨場感のバーチャルリアリティが実現
 現実の現象を誇張化する技術
 第一手段としての、仮想パーソナリティとのインタラクション
 実用的な言語技術が実現

僕の予想より、具体的かつかなり早い。


【2029年:融合の時代】
 1,000ドルの計算力=人間の脳の1,000倍
 人間の脳の完全解析が完了
 コンピューターがチューリングテストをパスする
 人工知能を使って人間の思考能力を強化
 人間の知能が固定されているのに対し、 人工知能級数的に成長し続ける

 「脳の解析は今後20年のうちに完了し、コンピューターは真のチューリングテストをパスし、人間と区別のつかないAIが登場する」というくだりもあり、完全なる人工知能の出現をも予言した。また、バーチャルワールドの人格が人々の「プライマリーな人格」となり、肉体にとらわれた部分は「セカンダリーな人格」になるだろうと、コミュニケーション分野のパラダイムシフトを予言した。

コミュニケーション分野のパラダイムシフトはかなり同意。

AIに関しては、どうだろうか。いまいち疑問。


全体的な印象

Ray Kurzweil氏は、現時点でいくつか未来予測の実績を残しているので、現実的に考えるのに値すると思う。


こっからはそもそも論だけど、彼の理論は、結局技術的な予測でしかない気がする。

さっきの、「科学は全て仮説」という話につながるけど、結局僕の違和感は↓と似てる。

科学-wikipedia

また、科学に属する諸学問は科学であるが、科学そのものは科学的ではなく一種の思想であるとする意見もある。分類可能性と予測可能性は厳格なカオスを除いては一体不可分であり、もとより科学は過去の知見を元に未来を予測する性向を強く持つ。このため「科学的」でさえあれば未来の予測は正しいとの確信を招きがちである。このような確信は、論理の前提とすべき命題の不知、確率的現象やカオスの存在によりしばしば裏切られる。

あとは、理論の前提に"リアルな現実の重要性"というものが、欠如している気もする。


うーん、うまく言葉にできないな。。
まだ頭の中を整理できてない。


しかし、おもしろい話であることは間違いない。