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つっこみキター2!! > "役に立たない経済学"から、"役に立つ経済学"へ

"役に立たない経済学"から、"役に立つ経済学"へ−きびたんの日記

に対して、つっこみ2!!

事務屋稼業 - 役に立つ経済理論とは?



id:JD-1976さん、こんにちは!!





いやー、おもしろいし、こうやってつっこまれると、勉強になります(笑)

さてさて、思うところがあるので、つっこみます!



しかし、以上つらつらと書きつづってきたのは、行動経済学はおろかミクロもマクロも入門書をかじった程度の私が言うことなので、ただの当てずっぽうにすぎない。ツッコミお待ちしてます(お約束)。


もしわかんない所があったら言ってください。
一応入門書をかじってるということなので、専門用語オンパレードでいきます。










たとえばid:uzuki-firstさんが発端になったエントリでも例にあげている設問。

  A.1万円のメガネと、ちょっと遠くの店で売ってる9,000円のメガネ

  B.100万円の車と、ちょっと遠くの店で売ってる99万9,000円の車

 あなたならどちらを選びますか? こう問いかけると、多くの人は、Aでは9,000円のほうを選び、Bでは100万円のほうを選ぶ。どっちも1,000円お得なのは一緒なのに。これは合理的な選択とはいえない。人はいつでもお得なほうを合理的に選ぶとする経済理論はおかしいでしょ――という論法だ。おのれの心理をズバリ言い当てられた思いがして、目から鱗が落ちる人も多いだろう。本を読んで、私も一瞬落ちかけた。

 でも、ちょっと待ってほしい。設問にこんな条件をくわえたらどうなるだろう。「AでもBでも、あなたがその日に自由に使えるお金は100万円ポッキリで、三日後でないと追加のお金を手にすることはできません」

 さあ、これでもBの選択肢で、100万円の車を選ぶだろうか。1,000円ぽっちでも手元に残しておきたいというのが人情ではないか? また、Aの選択肢では、100万円もあるなら1,000円くらいどうでもいいわい、とばかりに1万円のメガネをエイヤッと買ってしまうのではないだろうか。


これは一瞬見たとき、僕も目から鱗が落ちかけましたが(笑)、それと同時に違和感。
そこで、ちょっと考えてみました。





さて、元の問題とJD-1976さんの問題を比較してみましょう。

  A.1万円のメガネと、ちょっと遠くの店で売ってる9,000円のメガネ

  B.100万円の車と、ちょっと遠くの店で売ってる99万9,000円の車

あなたならどちらを選びますか?


ちょっと遠くというのは、問題として曖昧ですね。
車で10分かかるのか、歩いて5分なのかわかりません。
とりあえず、歩いて10分とします。



これは、コスト(機会費用)を比較する問題です。


  1000円 or 10分歩く


つまり、純粋に1000円の価値をどう見積もるかによって、選択が決定されます。


 でも、ちょっと待ってほしい。設問にこんな条件をくわえたらどうなるだろう。「AでもBでも、あなたがその日に自由に使えるお金は100万円ポッキリで、三日後でないと追加のお金を手にすることはできません」


この条件はいったい何なのか?


「3日後でないと追加のお金を手にすることはできません」としか書いていませんので、
その3日間の間に、何が起こるかわかりません。


所持金0で困るような事がないかもしれませんが、あるかもしれません。



つまり、この条件はコストではなく、リスク(不確実性)になります。



ですので、この問題の場合、単にコストを比較することに加えて、リスクも判断しなくてはなりません。


  (コスト)1000円 +(リスク)残所持金 or (コスト)10分歩く + (リスク)残所持金



よって、この二つの問題は似ているように見えて、実はけっこう違う問題になってます。


もともとこの問題は「1000円の価値はいつでも1000円である(絶対的価値)」という現代経済学の前提への反論が意図なので、


JD-1976さんの問題では、本来の問題の趣旨からずれてしまうんじゃないでしょうか。







ここで思い起こされるのは、経済学の基礎中の基礎、「資源は希少」という大前提と、「経済学とは希少な資源の配分にかかわる学問」という定義である。これを踏まえれば、手持のお金を一定とすれば、Aでは選択に際して資源(お金と時間と労力)が相対的にあまり希少ではないのでお値段が高いほうを選び、Bでは相対的に希少なので安いほうを選ぶ、という想定が成立しえるのだ。

 でもって、つけくわえておくと、これは行動経済学の知見のひとつ、「人は利益や損失の絶対額ではなく相対額にこそ反応する」とも矛盾しないんじゃないか。

ここ、いまいち理解できなかったですが、なんとなく行動経済学を誤解しているような気がしました。


   行動経済学とは、いったい何なのか? 経済学を根本から否定するものなの??


行動経済学は、現代経済学の一部について反論したものです。


例えば、需要と供給の一致の考えや、限界概念などを否定するものではありませんし、
「希少な資源を最適配分する」といった経済学原理を継承していないものでもありません。



そもそも、行動経済学の発祥は「プロスペクト理論」という論文にあります。

(参考: Prospect theory: An analysis of decision under risk
D Kahneman, A Tversky - Econometrica: Journal of the Econometric Society, 1979 )


プロスペクト理論自体は「リスク環境下における判断がどう行われるか」について記述されたもので、


この理論を出発点に「完全に合理的な経済人だけを前提するのではなく、合理的じゃない行動を取ることもある実際の人間を前提に考えよう」という行動経済学が生まれました。




ちなみに、現代経済学(期待効用関数)とプロスペクト理論の違いの解説などは、ここのHPがわかりやすかったです。
(経済学を勉強したことがない人には、ちょっと難しいかも)

経済学コラム - Media Island R

 − プロスペクト理論 - Media Island R








ただ、本エントリの主旨としては、既存の経済理論も条件次第ではそうそう非現実的な空理空論ともいえないんじゃないでしょうか、と言いたいだけだ。そして、私が設問にくわえた条件は単純ではあるけれども、個人がギリギリのところで買物にどれだけのお金をかけるかをさぐるというミクロ経済学の一目的に関しては、そんなに無理のない仮定なんじゃないかと思う。

 あと、行動経済学については、もっと大枠のところで疑問に感じることがある。たしかに人は、日常の買い出しやちょっとした嗜好品なんかについては不合理な選択をしてしまいがちだ。でも、たとえば車とか家とか、もっと安いものでもテレビや冷蔵庫なんかを買うときは、ローンの返済可能性やら将来の期待収入やら耐用年数やら保証期間やら、もろもろ考慮に入れたうえで損得にらみあわせて、できるだけ合理的にふるまおうとしないだろうか? あるいは企業が設備投資するときなどはどうだろう? なんか特定の商品が突発的にブームになるのをのぞいて――いや、それを勘定に入れても――、経済に大きな影響があるのは、そういう大きな買物だと思うんだけど。

行動経済学は、人間は合理的に動くことはない、と言っている訳ではありません。
合理的に動かない(動けない)ということもある、というだけです。(限定合理性)



行動経済学自体は、


 その合理的に動けないときってどういう時?
 その時は何を基準に動いているの?(ヒューリスティクス) 


を明らかにしよう!という感じですかね?







 しかし『誘惑される意志』の著者の思想はちょっとちがってて、むしろそういう不合理性こそが人間という種の存続と文明の発展に役立ってきたのではないか、とブチあげている。子供をつくって育てるのだって経済的には不合理じゃないか、とか(これは訳者解説か)。この視点もおもしろい……けど、あんまり役には立ちそうにないですね。


ちなみにこれ、ケインズのアニマル・スピリットって思想に近いと思います。


たしか、合理的な判断ではなく、本能的な情熱が経済を動かしていくんだ!みたいな考えだった気がする
(あんまりよく知らない。シュンペーターイノベーション理論も似てるって聞いたことがある)








こんな感じでいかがでしょう??

ツッコミがあったら、お待ちしていますね!^^